カンチャナブリ情報


泰緬鉄道関連の観光情報



クワイ川鉄橋と現在では呼ばれていますが、戦時中に日本軍が完成させた
ときはメークロン川の鉄橋と呼ばれていました。当然ながら、鉄橋の下を流
れている川はメークロン川です。映画「戦場に架ける橋」の大ヒットでクワイ
川鉄橋及びクワイ川が有名になり、下の川の名前は1960年に、現在のク
ワイ・ヤイ川に名称変更されました。映画の影響力のすごさが伺われます。



県都カンチャナブリ中心部にあるJEATH戦争博物館

JEATH博物館は屋外型の博物館で、その構造は、戦争捕虜の掘建て小屋の復元を博物館としたものです。ワット・チャイチュンポンの住職の寄贈として1977年に設置されました。この博物館は、1942〜1943(BE.2485〜2486)年の第2次世界大戦中の戦争捕虜たちによる死の鉄道建設に関連づけた各種の品目が展示されており、現在、寺院の手で運営されています。写真右が博物館入り口のゲートで、クワイ川鉄橋とここを高速ボートが結んでいます。



カンチャナブリ連合軍墓地

カンチャナブリ県カンチャナブリ郡(日本流に言うと「市」に相当)の都心部にある第2次世界大戦連合軍墓地です。ナムトック線(旧泰緬鉄道)のカンチャナブリ駅の正面にあります。第2次世界大戦中に、この地で死去した連合軍の多くの人々がここに眠っています。現在、3ヶ所ある連合軍墓地の中では最大規模のものです。年に3回、関係諸国による戦没者の慰霊祭が行なわれています。3ヶ所とは、他にチョンカイ墓地とタンビューザヤット墓地(ミャンマー内)です。ここには、イギリス、オーストラリア、オランダの人々が眠っています。インド兵は名前だけの表示となっており、アメリカ兵は本国へ移送されたそうです。なお、この墓地の正面にある陸上競技場が、昔は鉄道建設隊本部があったところです。



Thailand-Burma Railway Centre(鉄道博物館)

2003年に入ってオープンしたカンチャナブリ第3の戦争博物館です。カンチャナブリ都心にある連合軍墓地の隣に建てられました。泰緬鉄道建設に関する当時の日本軍の鉄道建設技術の詳細な展示が特徴的で、他の2つの戦争博物館とは異色な内容となっています。入館料は、2004年3月現在、大人60バーツ、子供は30バーツです。鉄道マニアの方には、きっと満足いくレベルだと思います。館内での説明資料は、すべてタイ語と英語の併用となっています。



クワイ川鉄橋を渡る列車

これは、土・日・祝日だけ走るナムトック線の3両編成の臨時列車で、通常の列車は大変長いです。この橋は「戦場に架ける橋」としても有名で、第2次世界大戦中に作られたものが修復を繰り返しながらも現存している橋です。この川はクウェー・ヤイ川(1960年以前はメークロン川)で、3〜4km位下流のカンチャナブリ都心でナムトック線沿いのクウェー・ノイ川と合流して、そこからメークロン川(1960年以降流域変更)と名前が変わります。戦争中に鉄橋と木の橋が作られ、鉄橋だけが現存しています。



昭和20年の終戦直前のクワイ川鉄橋

手前が観光旅行で訪れるクワイ川鉄橋、奥に見えるのが木造で造られた鉄道用の橋です。木造の橋は、ついに戦争が終わるまで使用に耐えることができました。クワイ・ヤイ川(当時はメークロン川)には、このような2つの橋が架かっていたのですが、映画「戦場に架ける橋(事実をベースにしたフィクションです)」で木造の橋として紹介されたために、その映画の影響で勘違いして観光に見えられる方々が大変に多いようです。現実は鉄橋と木造の橋が架かり、木造の橋も映画のようなものではありません。この映画での間違ったイメージのため、この橋の名前や下を流れる川の名前を、ついに1960年に整合性をとるために変えざるを得なくなってしまいました。



クウェー川から見た戦争博物館

クウェー川鉄橋近くの戦争博物館です。右と中央の建物が第2次世界大戦の戦争博物館で、左奥の建物はタイービルマの戦争博物館です。そこの上階には歴代タイ国王の肖像画も掲示されています。左手前の建物は、タイの近代史が掲示されています。地階の展示コーナーでは、当時の日本軍の軍票としてのドル札なども展示されています。また、当時建設された木造の橋の一部も現状保存されています。30バーツの入場料金(2004年3月現在)は、これらすべての施設の見学料金です。



戦争博物館内にある木橋の展示

地階の展示コーナーの中央では、クワイ・ヤイ川に突き出して、当時使用されていた線路用の木橋が現状保存されています。鉄橋の方は、現在もナムトック線として使用されています。この奥のコーナーでは、日本軍の軍票として発行されたドル札なども大量に展示されています。



クウェー川鉄橋近くの戦没者慰霊碑

クウェー川鉄橋近くの戦争博物館の隣の敷地内にある戦没者慰霊碑です。昭和19年2月、当時の日本軍の鉄道建設隊によって建てられたもので、第2次世界大戦中の泰緬鉄道建設に従事して亡くなられた連合軍並びに関係者の方ための慰霊碑です。在タイ日本人有志が、毎年3月に慰霊祭を行なっているそうです。この碑の背面には「泰緬旬連接鉄道建設間不幸病ヲ得テ弊レタル南方各国労務者及捕虜ノ為此の碑ヲ建テ恭シク其の霊ヲ慰ム」昭和19年2月 日本軍鉄道隊、と記載されています。



カンチャナブリの永瀬隆氏建立の寺院

戦時中に通訳としてこの地へ来ていた長瀬さんが、戦争時の出来事の痛ましさからクワイ川鉄橋近くに有志で建立した「クワイ河平和寺院」です。JEATH博物館内で売店を開いている、2006年5月現在75歳のおばあさんは永瀬氏の友達だそうで、長瀬氏自身も2006年5月現在88歳におなりだそうですが、度々日本からご夫婦でやって来られるそうです。長瀬さんは、JEATH戦争博物館のあるお寺に3ヶ月間出家されていたそうです。このお寺には、倉敷市の有志の方々の名前もずらりと並んでいます。



チョンカイ連合軍墓地

カンチャナブリ郊外にある、もう1つの第2次世界大戦での戦没者が眠る連合軍墓地(3つの中では最小)です。カンチャナブリ中心部から南方へ3km位離れているため来訪者が少ないのですが、よく手入れされたきれいな墓地です。すぐ左側のクウェー・ノイ川から、高速ボートで来ることもできます。第2次世界大戦の連合軍墓地は合計3ヶ所ありますが、もう1ヶ所は隣国ミャンマーのタンビューザヤットにあります。戦争終了時に、泰緬鉄道沿線に沢山あったお墓を、3ヶ所にまとめて埋葬したものなのです。



Wat Tham Khao Pun 近くのチョンカイの切り通し

これがナムトック線(旧:泰緬鉄道)で難工事だったチョンカイの切り通しです。作業人員、機材、爆薬などが不足していて、工期短縮のために鋭角に切り取られています。この左上に巨大な仏像が座っており、右下にはクウェー・ノイ川のすばらしい景色が広がっています。クウェー・ノイ川を見るには絶景のポイントの1つです。この上のワット・カオプーンにある鍾乳洞は、戦時中は日本軍が使用していました。



バンカオ国立博物館

新石器時代の遺跡を展示している博物館です。オランダ人の考古学者バン・ヘークレンが、第2次世界大戦中に戦争捕虜として鉄道建設で働いていたときに偶然発見したものです。戦後、彼はタイに来て考古学的な調査を始め、沢山の有史以前の品々を発見し、ここに展示されることとなったのです。タキレン駅から7km位のところです。



サイヨークのアルヒル桟道橋

カンチャナブリから西へ約30km位離れたサイヨークのアルヒル桟道橋です。ナムトック線(旧:泰緬鉄道)の最大の難所で、崖との隙間は最小で10cm位のところもあります。ギシギシと音をたてながら、列車は木製のこの桟道橋をノロノロと通り抜けます。すぐ下はクウェー・ノイ川で、この川沿いには広範囲にリゾートホテルが点在しています。ここの駅名をタム・クラッセと言いますが、タイ語でタムは洞窟、クラッセは渓谷と訳したら良いのでしょうか? 英語読みでは、クラッセ・ケープとなります。



サイヨークのアルヒル桟道橋

このようなところを、列車はゆっくりと走っていきます。片方は山肌を削った崖、もう一方はクワイ・ノイ川がすぐ下を流れています。戦時中に最大の難工事だったところです。2005年夏以降、列車が運行していない時間帯には、この桟道橋を往復する観光用のトロッコ列車が運行されています。一往復して50バーツという料金です。



ナムトック・サイヨーク・ノイ駅の蒸気機関車

ナムトック・サイヨーク・ノイ駅に設置してある蒸気機関車です。泰緬鉄道の時代のもののようです。現在は、観光の対象になっています。2004年から現在の終点のナムトック駅からここまで終点が延伸されました。前方に切り通しがあり、その先には滝がありますので、タイの人々には滝の方が人気となっていますが、滝の上は平らになっており、そこがかつての日本軍鉄道建設隊のキャンプ地でもありました。



ヘルファイアー・パスの記念館

入場料は無料です。連合軍捕虜の人々による泰緬鉄道建設の様子が展示されています。また、当時の鉄道建設の10分程度の短編記録映画も無料で上映されています。オーストラリア政府によって建てられました。アジアにおけるオーストラリア人の捕虜の収容所の位置や、この戦争に対するオーストラリア政府の説明なども掲示されています。博物館の裏は展望台になっており、泰緬鉄道の様子を展望することができます。記念館すぐ近くのコンユイタの切り通しは、「地獄の火の峠」、つまりヘルファイアー・パスと呼ばれています。



ヘルファイアー・パス

この写真のコンユウの切り通しは「地獄の火の峠」、つまりヘルファイアー・パスと呼ばれています。泰麺鉄道建設中の1943年4月からは、8月完成の命令を受けた日本軍による工事のスピードアップが始まりました。捕虜とアジア人労働者は夜遅くまでの長時間労働を強制され、深夜、工事に従事する痩せ衰えた労働者を照らし出して揺らめくたき火の明かりの様子から、この名前で呼ばれるようになったそうです。この写真の先を左に曲がるところに5m位の当時の線路が敷いてあります。崖の面には、戦争捕虜として工事に関わった人々の言葉が記されており、観光客の人々による慰霊の品々も置かれています。このような鉄道跡が、約4.5kmほど散策道として続いています。



ヘルファイアー・パス

これがコンユウの切り通し、一般にはヘルファイアパスとして有名な切り通しの場所です。日本人はあまり来ませんが、ヨーロッパの人々は定番コースとして訪れています。すべて英語表記で、当時の状況が掲示されており、近くの資料館では沢山の当時の資料と短編映画が無料で見学できるようになっています。この場所は、オーストラリアの英雄ダンロップ氏の遺骨が撒かれた場所で、オーストラリアの人々にとっては聖地です。毎年の4月25日のアンザック・デー(オーストラリア)には、ここを訪れる人も多いようです。



ヒンダー温泉

カンチャナブリから向かうと、トン・パ・プムの街より20km位手前にヒンダー温泉はあります。戦時中に、日本軍が発見した露店風呂の温泉だそうです。健康に良いと、多くの人々が遠くから入浴にやって来ます。タイ人は服を来たまま入浴します。とはいっても、写真の程度の服装です。水着になるのは外国人くらいです。



スリー・パゴダ・パス

これがタイとミャンマー国境にあるスリー・パゴダ・パスです。石塔が3つ並んでおり、サンクラ・ブリから来るタイの道路はここで終点となります。道路(国道323号線)終点の大きなロータリーの中に建っており、高さは4m位だと思います。スリー・パゴダ・パスの横にはミャンマーへの国境の検問所があります。検問所は朝6時から夜の6時まで開いています。ここからミャンマー領へ入ると、自動車は右側通行となります。入国料として、2003年末現在、ツーリスト10ドル、タイ人25バーツと書かれていました。検問所からタイ領内へ向かって10m位だけレールが引かれていて、昔の泰緬鉄道がここを通っていた名残りを展示しています。



THE BORDER PEACE TENPLE

入り口の塀に「THE BORDER PEACE TENPLE」 と書かれたこのお寺は、永瀬隆氏を中心とする日本の有志とタイの人々が合同で2002年4月25日に建てられたもののようで、国境平和祈念堂「星露院」といいます。スリー・パゴダ・パスのすぐ近く、タイーミャンマー国境の目の前に建てられています。お寺の前には5mほどレールが敷かれています。付近のダム湖に日本兵4、500人の墓が水没し、2カ所の洞くつでは計130人ほどが当時自決したようで、日本兵と元捕虜双方へ慰霊の念を込めて建てられました。





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